願いを届け、癒しを提供する社
御祭神
護國の御英霊 天照大御神
御神徳
平和・繁栄
御由緒
当社の前身である招魂社は、明治12(1879)年10月4日に造営されました。 戊辰の役に従軍した殉国者で相馬・田村・会津の招魂場に祀られていた御霊と、同従軍殉職者にして此れに祀られなかった御霊及び西南の役に殉じた管内人の御霊が最初に合祀されたのがはじまりです。 それ以来、大東亜戦に至るまで本県人にして国難に殉じた御霊が合祀されてまいりました。
創建当時は官祭信夫山招魂社と命名され、後に指定官祭福島招魂社と改称されました。 昭和14年には内務大臣指定の官祭福島縣護國神社となり、現在の名称となったのです。 現在の社殿は昭和12年に建てられ、英霊68,500余柱が手厚く祀られております。
終戦後、日本はGHQの占領下におかれ、当社は存亡の危機に立たされました。 存続を願った当時の人々は伊勢の神宮・天照大御神をお祀りし、大霊神社と一時的に名称を変えることになりました。 その後、昭和27年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効され、日本は主権を回復しました。 同年9月、大霊神社から福島縣護國神社と再び名称を戻し、現在に至っております。
皇室の方々より数多くの御参拝を賜り、天皇皇后両陛下より幣帛料・幣饌料が御下賜された由緒深い神社でもあります。 明治・大正・昭和・平成の激動の時代を過ごした当社ですが、昔と変わらず今も静かに信夫山に鎮座しております。
皇室の御参拝、御下賜、御寄進の記録
有栖川宮熾仁親王殿下より「吐芳」の御染筆御額一面(絹地)御寄進 「吐芳」 ![]() ※公開しておりません。 |
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小松宮彰仁親王殿下より「信夫山招魂社」の御染筆御額一面(絹地)御寄進 「信夫山招魂社」 ![]() ※公開しておりません。 |
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皇太子殿下(大正天皇)御参拝 | |
久邇宮殿下御参拝 | |
東久邇宮殿下御参拝 | |
東伏見宮妃殿下御参拝 | |
東久邇宮殿下御参拝(二度目)、本殿左右に石灯籠(二基)御寄進 「石灯籠」 ![]() ※公開しておりません。 |
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北白川宮房子内親王殿下、多恵子女王殿下御参拝 | |
梨本宮殿下御参拝 | |
東久邇宮殿下御参拝(三度目) | |
閑院宮殿下御参拝 | |
梨本宮殿下御参拝(二度目) | |
東久邇宮妃殿下御参拝 | |
朝香宮殿下御参拝 | |
梨本宮妃殿下御参拝 | |
天皇(昭和天皇)皇后両陛下より幣饌料御下賜 | |
天皇陛下(昭和天皇)より幣帛料御下賜 | |
天皇陛下(昭和天皇)より幣帛料御下賜 | |
天皇(昭和天皇)皇后両陛下より幣饌料御下賜 | |
天皇陛下(昭和天皇)より幣帛料御下賜 | |
天皇陛下(昭和天皇)より幣帛料御下賜 | |
天皇陛下(昭和天皇)より幣帛料御下賜 | |
天皇皇后両陛下(上皇上皇后両陛下)より幣饌料御下賜 | |
天皇皇后両陛下(上皇上皇后両陛下)より幣饌料御下賜 | |
天皇陛下(上皇陛下)より幣帛料御下賜 | |
天皇陛下(上皇陛下)より幣帛料御下賜 | |
天皇皇后両陛下(上皇上皇后両陛下)より幣饌料御下賜 |
伊勢神宮祭主・池田厚子様(天皇陛下の実姉様)御参拝
、伊勢神宮祭主・池田厚子様(天皇陛下の実姉様)が御参拝され、宮司以下、神職・役員総代・神社関係者にてお迎えいたしました。


境内案内


願うて叶わざるはなし
御祭神
菅原道真公
御神徳
合格必勝・学業成就・進学成就・就職成就
御由緒
福島縣護國神社入口に鎮座する信夫山天満宮。 御祭神は学問の神様として名高い菅原道真公です。
菅原道真公は、代々学者として朝廷に仕える菅原家に生まれました。 幼い時からすばらしい才能を発揮し、5歳で和歌を詠み、11歳で漢詩を作り、18歳で文章生、33歳で学者として最高クラスの文章博士になりました。55歳の時に右大臣(朝廷の最高機関の役職の一つ)となり、学者・政治家として天皇様からの御信任も厚かったのですが、無実の罪によって大宰府(福岡県)へ流刑となり、59歳でその生涯を閉じられました。
当社は、菅原道真公の墓所の上に造営された大宰府天満宮より御分霊を拝戴して、昭和63年9月に創建されました。太宰府天満宮の御分霊を東北の地でお祀りされたのは初めてのことです。太宰府天満宮は全国の天満宮の総本社の格式を持つ大社です。 当社は、「大宰府天満宮御分霊」の名のりを特別にお許しいただき、文字通り「東北の太宰府天満宮」としての格式を整えております。
「願うて叶わざるはなし」知恵と学問の守護神として、受験生の信仰を集めています。